数十年前まで俺の住んでいた地方では「引っぱる」ということが当たり前のように行われていました。「引っぱる」というのは今まさに死んでいく人間が、その死の間際に生きた人を道づれにしていくことです。
当時、自分はまだ小学生でした。うちは四国の山奥の集落にありました。90過ぎのひいばあさんがいて、ちょうど肺炎にかかって寝込んでいました。
ひいおばあさんが寝ついたという話を聞いて、近隣のばあさん連中がわらわらと訪ねてきました。それも昼に来るのではなく、夜陰にまぎれてやってきます。夜の9時過ぎ頃に見舞いと称して野菜などを持ってきては病人の枕元で長いこと話し込んでいくのです。
ひいばあさんは熱も咳もあって話ができるような容態ではありません。けれど、それにもかまわずばあさんたちは病人に向かって語り続けます。
「下の郷の○○婆を引っぱってくれ」
ばあさんたちはそんなことをくどくどと頼み込むます。その○○婆にどんなひどい仕打ちをされたかなどのことも一緒に。
まだ一家を仕切っていた自分のじいさんは、あまりいい顔はしていませんでした。ただ、ここらの集落の風習みたいなもんだから仕方がないと諦めていたようです。
やがてひいばあさんは1週間もしないうちに息を引き取りました。そして、ひいばあさんの葬式を出して3ヶ月以内に、集落の年寄りが2人亡くなりました。
そのうちの1人は間違いなく、ひいばあさんが引っぱってくれと頼まれていた人でした。